日米同盟とは? 国会審議もなしにごく少数者しか知らない秘密の日米軍事同盟
「日米同盟の正体 – 迷走する安全保障」
孫崎 享著 講談社 現代新書
「日米同盟」という言葉が使われ始めたのはいつごろからであったか。日独伊三国軍事同盟を思わせる言葉である。1960年の日米安保条約は日本の周囲の安全保障と日本の防衛に関する取り決めであり、日米同盟というような軍事同盟ではない。誰も知らないのであるが、2005年に国会の審議もなしに日米で合意された「日米同盟:未来のための変革と再編」は、1960年の安保条約を完全な日米軍事同盟にするものであったという。ごく一部の人以外誰も知らない。詳細を知るのは、外務省の担当課長・局長・次官の3人だけであると言う。外相と首相は極秘に報告を受けただけであろう。この同盟により、日本は西はケープタウン、東はハワイまで、米国とともに自衛隊をおくる約束をしている。
第1章
・日米共通の戦略とは米国の戦略に従うこと
・1980年代から続くシーレーン構想:日本を積極的に使った最初の動き。目的はオホーツク海のソ連の潜水艦の封じ込め、しかし、日本政府内でその意図に気づいた人はいない
・1995年「東アジア戦略報告」。冷戦後の米国のアジア戦略において、安全保障での日本の役割拡大を求められる
・1999年「国連PKO、人道支援、災害援助活動、緊張度の低い作戦活動は、日本が将来戦闘活動に参加するための準備行動である」
第2章
・米国の政権が軍事行動を必要とするとき事件が起こる。サムター要塞の攻撃 (南北戦争)、真珠湾攻撃、9.11同時多発テロ。熱烈な愛国心で戦争に突入
・陰謀論の行使には2つある。偽旗工作と間接的にその実現を支援すること。真珠湾攻撃は後者、9.11 同時多発テロも後者の疑い。陰謀論を否定すべきではない。
・1947年国務省政策企画部「千島列島に対するソ連の主張に異議を唱えることで、米国政府は日本とソ連の対立をかきたてようとした。北方領土についての争いが何年間も日ソ関係を険悪なものにするかもしれない」。1951年の英国大使館極秘具申電報にも同趣旨の記述。北方領土問題の歴史を見れば、日本は見事に米国の構想の下に踊らされている。
第3章
・ソ連崩壊後米国には、軍を削減して重点を経済に移すか、世界最強になった軍を維持するか、二つの選択肢があったが、後者を選択。
・冷戦終結後の米国の対日戦略。新しい米国戦略の中に日本をどう組み込むか。日本経済がCIAの標的となる。
・1993年クリントンの「ボトムアップレビュー」(冷戦後初の体系的な米国戦略)。米国の指導体制維持、同盟体制の強化 (日米関係見直しの源泉)
・1994年細川政権「樋口レポート」。世界的および地域的な多角的安全保障体制の促進、日米安保関係の充実。米国の新戦略に気付かずそれと矛盾していた。
・日米戦略対話へ。1995年「東アジア戦略報告」、新防衛大綱、1996年「日米安全保障共同宣言 – 21 世紀に向けての同盟」、1997年「新日米防衛協力の指針 (ガイドライン)」、1999年 周辺事態関連法の成立
第4章
・2005年「日米同盟:未来のための変革と再編」。その核心は、日米協力の下、自衛隊が世界を舞台に危険負担を引き受ける方向へ歩むことにある。
・米国との一体化への変化は1990年代初期に生じた。米国が冷戦後の戦略を作成する過程で、日本との同盟を強化すべきと判断し始めた時期。外務省で自主路線を志向する者が急速に省内基盤を失っていく。
・同盟の非対称性。日本における米国の基地がいかに重要かを認識すれば非対称性に負い目を感ずる必要はない。日本側にこの認識があるか否かが、今日の日米安保条約のあり方を考える岐路。
・元駐日米大使特別補佐官ケント・カルダー「日本の米軍施設の価値は米国外では最高。嘉手納空軍基地は最も重要な戦略的価値をもつ基地のひとつ。日本政府は米軍駐留経費の75%程度を負担。同盟国中最高。ドイツは20数%」
・「日米同盟」による変化。「極東の平和」から「世界における共通の戦略目標 (国際的な安全保障環境の改善) の達成」へ。「国際連合憲章の尊重」から「米国主導による同盟国中心の軍事力行使」へ。部隊レベルから戦略レベルに到る役割、任務、能力の日米一体化
・なぜ日米一体化への道を行くのか。力の強い者につくのが得、これが日本の政策決定の価値基準。この判断が問われるのは自衛隊員に死者が出たとき
・米国にとって対日工作は難しくない。米国と価値観を共有する政治家、ジャーナリスト、官僚に、他では得られない情報を与え、その人間の発言力向上を助ける。
・中長期的には中国要因 が日米同盟の再考を根本的に迫る。オバマ政権の中国コネクションは日米コネクションよりも強力
・極東地域では日米の安全保障の利害関係は一致する。協調関係を維持すべきだが、世界規模では日米の考えは必ずしも一致しない
第5章
・2005年英サンデータイムズ「2002年の段階でブッシュ大統領がイラク戦争を決断しており、かつ大量破壊兵器がこの政策を正当化するための口実に使われることを認識していた文書がある」
・イラク戦争開始、継続された要因。巨大な軍事戦力の維持とイスラエルの影響力。オバマ政権下でこの二大勢力は従来よりも勢いを増している。ホワイトハウスの主流ポストがこれほどイスラエルに近い人々で占められたことはない。石油要因は低い。
・マクナマラ「イラク戦争は道義的に、政治的に経済的に間違っている」。報道しない米国メディア
・アイゼンハワー「巨大な産軍複合体が米国全体の利益に反して戦争に突入する危険を警告」。以前は、旧式の兵器体系を更新することで兵器産業を養う道があったが、徴兵制度をなくした米軍は戦闘能力を維持するために補給部門を大幅に民営化。そのため戦争が必要になった (第3章より)。
第6章
・1996年ビン・ラディン「二聖地の地 (サウジ) を占拠している米国への戦争宣言」。9.11同時多発テロの原因を論じようとしない政府と米国メディア
・2001年9.11翌日のブッシュ「これがイラクの仕業か調べてほしい」テロ対策大統領補佐官「これはすでに調査済みです。この問題をずっと調べてきました。・・・つながりはまったくありません」ブッシュ「イラク。サダム。つながりがあるかどうか調べるように」
・2001年9.11直後のチェイニー「いまここにビン・ラディンの首をもってこられても、われわれは戦いをやめない。われわれの戦略の重要部分は、かつてテロ活動を支援した国々が支援を止めたかを見極めることにある」
・2002年米国の下院と上院は圧倒的多数で「米国とイスラエルはいまやテロに対する共通の敵と戦っている」と議決。テロとの戦いはハマス・ヒズボラにまで拡大された。
・2003年ほぼすべての米軍がサウジから撤退。2006年CIA「アルカイダはもはや脅威を与えないと判断」
・2007年スティーブン・ウォルト教授ほかの「イスラエル・ロビーとアメリカの外交戦略」「イスラエルの利益に適う政策をとることで米国の安全保障は危機にある。イスラエル・ロビーに対抗する勢力を作ろうとしても失敗するであろう」。尻尾が犬を振る状況
第7章
・米国安全保障関係者の基本的論理「米国にはなすべき任務がある。しかし、米国が負担できる犠牲には限界がある。米国の犠牲を許容範囲に抑え、任務達成ができるなら核を使用すべきだ」
・2003年国防省作戦計画 (COPLAN8022)「北朝鮮、イラン、シリア等に対する先制核攻撃を想定」。2004年ラムズフェルドの緊急指令により、米空軍および海軍は大統領の指示があれば攻撃できる態勢を作った。
・ワシントンポスト紙など「対イラン核攻撃の目標はナタンツ、イスファハンの核施設。ナタンツ施設は地下深くあるため、その破壊には核攻撃が必要」
・キッシンジャーの抑止論「攻撃する国に対する報復能力が核の抑止になる。戦争の犠牲と紛争の目的との釣り合いがとれなければ戦争を避ける」。「(核の傘論について) 全面戦争という破局に直面したとき、米国大統領はヨーロッパと米国の都市50を引き換えにはしないだろう。西半球以外の地域は争う価値がないように見えてくる危険がある」
・米国の核の傘は、米国本土攻撃という人質をとられたとき機能しない。欧州三カ国は独自の核戦略を選択
・キッシンジャー「核兵器を有する国は、それを用いずして無条件降伏を受け入れることはないであろう、一方でその生存が直接脅かされていると信ずるとき以外は、核戦争の危険を冒す国はないとみられる。・・・無条件降伏を求めないことを明らかにし、どんな紛争も国家の生存の問題を含まない枠を作ることが米国外交の仕事である」
第8章
・米国の対日安全保障政策「日本に新たな役割は求める、日本に国際舞台で危険の負担を求める、しかし、日本防衛に関しては日本独自の抑止力は持たせない」
・2004年「防衛計画の大綱」。「我が国は、日本国憲法の下、専守防衛に徹し・・・格兵器の脅威に対しては、米国の核抑止力に依存する」
・核武装には否定的
・激変する米国の北朝鮮政策
・先制攻撃論
・ミサイル防衛
・軍事以外の抑止手段
・日本独自の道を再評価する重要性
戦後の日本は軍事を捨て経済に特化するモデルを採用した。グローバリズムが深化し、経済の相互依存性が高まる中で、この行き方が自国の安全を確保する手段となっている。日本は、日本というブランド・イメージ (国際社会での好感度) の価値を理解し、積極的に育成すべきではないか。
・安全保障面での選択肢
・オバマは公約通り変革を実現できるのか。いくつかの懸念材料がある。